1. もつれた紐。
このMVでは、「もつれた紐」のモチーフが繰り返し、提示されます。
「セフンがほどこうとしている、こんがらがった紐」
「ジョンデが紙に鉛筆で書きつけている『ぐるぐる』」
「椅子にすわるカイを何重にも縛っているロープ」
「セフンが眺めている、『もつれた紐のヘキサゴン』の絵画」
(ごめんね…ちょっと「ラーメンみたい」と思ってしまった・笑)
(でも、終盤ちかくで、ベクが絵を眺めているのだけれど、そのときの絵は「黒地に黄土色の絵の具を、大きな刷毛でさっと一書きしたような絵」に変わっているのですよ……)
結び目を作られる、あるいは、ひどくもつれて、ほどけそうにないほど絡まりあっているロープの映像。
あと、もうちょっと言えば「カイ・ジョンデ・ベク」の3人も「からまりあって、積み重なっている」。
(注・変な意味ではなく、「物理的に」です・笑。)
(それにしても、なぜこの3人?)
「3人の手が絡み合う」。
「3人ともこちらに顔を見せて、積み重なっている(上からカイ・ジョンデ・ベク)」。
──それから「3人が(どーしてこうなった?というくらいに、超絶・複雑なポーズで)積み重なっている」!
【な、なして、こーなった、3人衆!】
体育座りのカイ、そのカイにうつぶせでもたれ、脚を投げ出しているベク、その2人の上に、そっくり返って乗っかってるジョンデ!
「からまりあって積み重なっている」といえば、MVのわりと序盤で、セフンが見つめている、「小さな木の椅子の玩具」も、こんがらがって積み重なっています。
【「うーんと? これ、どうしたもんかな…」by セフナ】
おそらく、カイを縛っていたぐるぐるのロープが、いっせいに切れて、彼が「解放」された瞬間に。
これらすべての「もつれた感情(あるいは愛、記憶)のモチーフ」から、彼らは、あるいは私たちは、いっせいに解き放たれ、そして自由になる──という「暗喩」なんだと思うけれど。
*
カップに注いでいく白いクリームが、あふれてこぼれて、テーブルの上に白い小さな水たまりを作ってしまっているにも関わらず、カイがどんどん注ぎ続けてしまう場面、とか。
物憂げにテーブルのうえにうつぶせるカイ、そのまわりをとりかこむコーヒーカップの水面が、いっせいにふるえる、とか。
セーターを脱ぐチャニョル、コートをひるがえしてこっちに走って来るカイ、後ろ姿を見せて歩き去ろうとするギョンス。
カップに視線を落として、まなざしを上げるベッキョン。
(このとき、彼の喉の筋肉が、こくりとかすかに動いて、彼が固唾を飲んだのがわかる)。
8人がいたテーブルの部屋に、ひとりだけ残って歌うジョンデ。
紙ナプキンをくしゃりと丸めて、それをテーブルから振り払うミンソクの手。
印象的、あるいは思わせぶりなシークエンスが続きます。
そういう美しくて静謐な情景が、たくさん「からまりあい、積み重なって」いて、それらは見ている私たちに「物語」の深読みを要求させるかのようです。
ゆえに、なんとかこの作品に通底する物語を、読み解きたい、と思ってしまって、何度も見てしまうのですが。
たぶん「正しい答え」というものは、最初から用意されていないのでしょう。
私たちの人生や愛のかたちに、正解など、最初から存在しないように。
*
ひとを愛おしいと思う気持ち、相手と強く結びつきたいと願う感情は、ほんとうなら、あたたかで優しいものであるはずなのに。
ときにそれが、相手を、あるいは自分自身をも、もつれさせたり、縛りつけたりしてしまうのは、いったいなぜなんだろう?
普遍的に存在する、人の心の矛盾。
けれども、それを乗りこえて、ふたたび、愛するきみを探す旅に出たいと思う。
その祈りのような強い感情が、この「Universe」全体に流れている、悲しみに似た美しい調べになっているのだと思うのです。
2. ふたりの指輪。
あのですねえ、今回は、やたらとボーイズの手もとが気になって仕方がなかった夜ふチョコなんですが。
① ミンソクさま(ペーパーナプキンをくしゃりと丸める右手親指)
【Xiumin, squeezing】
(ああ、このひとは、どうして手まですごくきれいなの?)
② セフナ(もつれた糸のかたまりをほどこうとしている右手ひとさし指)
【Sehun, trying to untangle】
③ ジョンデ(紙に「ぐるぐる」を鉛筆で書くときの左手ひとさし指)
──の3人が、指に指輪をはめているわけなんですけどね。
それがおそろいかどうかまではわからないのですが(一応、わりかし似たニュアンスのデザインに見える——と思ったけど、そうでもないですね・苦笑)、「おそろいだ」とすると、萌えてたまらないので、勝手にそう思いこむことにしました(ははは)。
特に。
①と②がお揃いで、この2人は、かつて一緒にその指輪を買ったという経緯がある、とかいうサイドストーリーがあると、なお良し。
(夢がみたいんですよ、私……)
3. 宇宙の色。
今回のMVは、全体的にカフェオレ的な色調でまとめられていたのですが。
皆さま、「コズミック・ラテ」という言葉をお聞きになったことは、おありでしょうか。
(ググったら英語のwikiしかなかったので、以下、訳出して引用↓)
「『コズミック・ラテ』」とは、ジョン・ホプキンス大学の天文学研究チームが発見した『宇宙を平均化した色』に付された名称である。
2001年、カール・グレイズブルックとアイヴァン・ボールドリーは、宇宙を平均化した色は『緑がかった白』であると結論づけたが、直後の2002年の論文でこの分析を訂正。『20万個以上の銀河から届く光を調査し、それを平均化すると、「若干、ベージュがかった白」になる』と報告した」。
──と、いうことらしいのですが。
それで、この研究が発表されたあと、この「宇宙の色」に名前をつけたらどうか、という議論が持ち上がり、「ベージュがかった白」にふさわしい名称が検討された結果、「コズミック・ラテ」という名前が採択されたそうです。
「ベージュっぽい白」って、つまりそれは、「ミルクのたっぷり入ったラテの色」だから。
おそらくは、この「コズミック・ラテ」というロマンティックな名称が、小さからぬ契機となって、MV『Universe』では、ボーイズがバリスタに扮して、コーヒーを淹れてくれたのだと推測しているのだけれど。
前々回の記事でも書いたけど、この演出の企画をしてくれた人、最高にグッジョブ!
ミンソクさまのバリスタ姿とか、黒いタブリエつけたベク(あああ、顔が映ってない! もったいない!見たい!)とか、どのボーイズでも超絶・甘くておいしかったです。ごちそうさま。
*こちらのランキングに参加してから、まだ1週間ちょっとなのですが、元ブログの1ヶ月分のPV数を5日程度であっという間に超えました。1日あたり約10倍以上の読者の方に読んでいただけている感じで、とても嬉しく光栄に感じています。元ブログからわざわざ遊びに来てくださった方、新しく来てくださった方、どうもありがとうございます。これからも、お読みいただけますと、とても嬉しいです。
(2018.01.20)
(この記事は、「勝手にMV評」12です)
【Next:『勝手にMV評』 の次の記事13はこちら▼】
↓ランキングに参加しています。お気に召すものがありましたら、応援して下さると嬉しいです♪
(画像はお借りしました。ありがとうございます)