EXOにmellow mellow!

EXOがだいすき! CBXに夢中な記事やMV・楽曲評、コンサートレポなど、ファントークを綴ったブログです。SHINeeについても少し。

CBX・神戸1日目【運命の座席・進化する!・頭脳派?】

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 本日(2019年4月27日)、神戸ワールド記念ホールで行われた、EXO-CBX「Magical Cicus」2019 Super Editionに行ってきました。

 今日が「自力当選」でチケットを手に入れた、唯一の日でした。

 

運命の座席は?

 お席はスタンド席のなかほどで、センターから少しだけ左寄り。

 「左側」というのは、前々回の記事で書いたとおり、別名(すみません、勝手に)「ジョンデ側」(注1)です。

 

 すわった瞬間、思わず「めっちゃよく見えるな」とつぶやいたほど、です。

 「Magical Circus」のロゴが映し出されている、センターステージ上の液晶モニターが、「どーん!」という感じで目の前に迫ってくる感じでした。

 スタンド席中程とはいえ、アリーナのお客さんたちが持っている「ベッキョン」とか「チェン」とかっていう、うちわに書かれたハングルさえ読めてしまうレベル。とにかく「よく見える」。

 ご存知のとおり、会場全体が小さいので、3人と私たちの距離がとても「近い」んです。

 たぶん、どの席にいても、「彼らとの近さ」(注2・3・4)を味わうことができたんだと思います。

 

 注1 でも、ちゃんとジョンデが右側にも行くし、ベッキョンやシウミンさんが左側に来てくれることも多いから、皆さま、大丈夫よ!

 今回、彼らの動きを見ていて、どの席にすわっている観客でも、ひとりひとりが、「大好きな彼」が「最も近い場所」に来てくれるチャンスがあるように、うまいことフォーメーションやステージの構成が設計されているんだな、とつくづく思いました。

 席の良し悪しって、確かに、あるかもしれない。

 だけどね、ほんとうにどの席のお客さんでも、CBXのどのメンバーのファンでも、「今日の特別な思い出」を持って帰ることができるように、非常に考え尽くされているショーなんだと思いました。

 

 注2 そして、その「観客との近さ」については、最後のコメントのときに3人からそれぞれの言及があった。

 

 注3 アンコールのとき、3人が同じ服装(マジカルの白T+黒のズボン)になると、ジョンデくんが赤の、シウミンさんが黒のキャップをかぶって、遠くのオーディエンスからでも、誰が誰だか判別できるようになってるんだけど、この会場ではその演出が省かれていた。3人とも無帽の状態だった。

 

 注4 あとね、めぐるトロッコのスピード。……今回も、わりに速かったですね(笑)。さいたまのときより、むしろ「ぴゅう〜」って感じだった(笑)。1回目のトロッコ巡り(「Gentleman」)で、3人のトロッコは同じ場所から出発するのだけど、3人のトロッコの位置をバラバラにしなければならないから、先頭の「ジョンデ・トロッコ」かなりのスピードで移動しなければならないわけです。ゆえに、トロッコの下で安全管理をしているスタッフさんが、わりとガチめに「走ってた」のが忘れられない(笑)。

 茶化したように書いてしまいましたが(ごめんなさい)、スタッフさん、ありがとうございます。お仕事、お疲れ様でした。

 トロッコのスピードって、ある程度のものを保たないといけないってことなんでしょうね。──たとえばファンが近くへ移動してきちゃうような「隙」を生んでしまうと、なにか事故が起こってしまうといけないから。なるほどな、と理解しました)

 

注5 「Watch Out」のときの、ジョンデくん「すっころび」事件。

 ──見ている瞬間は、「演出の一部か」と思ったくらいだった。

 だって「事故っぽい」転び方じゃなくて、「わざと派手に、ステージでころがってみせた」ような動きだったし(素でそう思った)、そのあと、普通に格好よかったので。

 最後のコメントで「いつも公演のたびに、忘れられない思い出ができるのですが、今日、自分がステージで転んだことは一生忘れないと思います」と笑いをとってくれていたので、「あ、あれはマジで転んでたんだ」と思いました。

 よかったです。怪我がなくて。

 

進化する!──「私このままでいいのかな」

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 公演3日目ともなると、実は彼ら3人の「観客への対応」や「ステージの進行」が、全体的になめらかになってくるのだ、ということに気づきました。

 3日目と1日目を比べると、全体的に「あ、3日目のほうが『こなれてる』。1日目は、やっぱり『様子見』なとこがあったよなあ」と思ってしまうというか。

 やばいっす、CBX。

 たった2日間で、ヤツら「進化」しちゃうんです。

 

(これって、私も観客として『こなれた』ってことなのかな〜? 

 次に何がくるか、ある程度わかっているので、「鑑賞ポイント」が、こちらとしても把握できているわけです。

 ゆえに、より、ステージを深く楽しめるようになった、彼らのパフォーマンスを上手に受けとめられるようになった——ってことなのかな?)

 

 そして、その「3日目の進化」を、もっとも大きく感じたのは、ベクの「私このままでいいのかな」でした。

 

 聴いていて、2フレーズめぐらいで、すぐに思った。

 ちょい待て。

 ベクめ、またうまくなってやがるな!(←いや、ほんと、そういう感じなんですよ)

 

 ブログには書かなかったんだけど、実は、あの歌だけ、さいたま公演では、「つ」が「チュ」に、「ず」が「ジュ」に聞こえてしまう瞬間が、1〜2度あったんです。

 自分たちの持ち歌では、発音を完璧なかたちを保っているベクだけに、その完璧さに慣れてしまったせいか、「あ、今、ちょっと変? だった?」ってことが耳に残る瞬間があった。

 

 それをですね。このひと、完璧に直してきてるんですよ……(まじかよ、ベク…)

 ああもう、ベク、たっまんねーな!(逆ギレ)

 

 さいたま1日目の感想に、この発音問題について、書こうかな、と思ったけれど、書かなかった。

 ベッキョンくんが、「日本語の歌」を、わざわざソロ曲として選んでくれた心意気に、私は、大きな拍手を贈りたかったから、その心意気に水をさしてしまうようなことを、彼のファンとして、書いてしまいたくなかったんです。

 

 だけど、このひと。

 ぜーんぶ、きれいに直してきた。(ほんと、まじかよ、ベク…)

 

 ——「さいたま2日目」以降の、たったの数日の間に、相当な練習を積んだんだなあ。

 

 あまりにも、あまりにも感動したので、すぐ次のシウミンさんのVCR中に、思わず、隣席の初対面のベクペンさんに、「ベッキョンくん、この歌、すごくうまくなってるんですよ。さいたまで聞いたときよりも、すごく、すごくうまくなってます」と言ってしまったのですが……あの、Sさん、お邪魔してしまってたら、ごめんなさい。でも、言いたくてたまらなかったんです。

 「ベッキョンすごい、ほんとうにすごい」って、言いたい気持ちが爆発しちゃうほど、彼の歌声、すばらしかったんです。

 

 「発音」という瑣末な事項だけでなく、この歌の歌唱の力も全体的に底上げされてきていると思いました。

 聴いていて、ほんとうに素直に「心打たれる」感じ。

 メロディの進行とともに、歌詞の意味がダイレクトに心に入ってくる日本語曲は、日本人のオーディエンスの私にとっては、やはり「感動を生む力」が大きい。

 ベクの声って、もともと、私の中で「せつない感情」に揺さぶりをかけてくるタイプのヴォーカルなんだけど、その特性が強烈に発揮されてくるのは、やっぱりこの歌の歌詞が直接に心にはいりこんできたからじゃないかな。

 

 そして、ベクに「(尊敬しているBoA先輩の、数ある歌のなかでも)きみはどうしてこの歌を選んだの?」と、聴いてみたくなった。

「きみの声の特性に、フィットしている歌だから」?

 それとも「きみが好きな曲だから」?

 

 ——あの頭のいい彼のことだから、「俺の歌唱力の方向性」+「俺の声で『女性が主人公の歌』を歌うことの効果」×「俺独自の『決め球』を使える歌」っていう、さまざまな「俺的ポイント」を勘案したうえで、「計算ずく」で楽曲を選んできてそーな気もするんだけども。

 

(あと、日本人制作側のブレインから、あの楽曲選びに際して、どーゆー示唆を受けてたのかも、めっちゃ知りたい!)

 

 なんか、今回は、聴いていて、「あ、ベクはこの歌を『すごく好き』だから、選んだんじゃないか」って気が、したのね……

 

 たぶん、著作権の関係で、あの日本語曲の歌詞をモニターには映し出せなかったんだろうけれど。

 そのこともわかっていて、「あえて」あの歌を歌うことを選んだのは、ベクが「あの歌を好きだから」じゃないか——という気がしたの。

 なんか、非常に素直に、「ああ、ベクはこの歌が好きなんだな」って受けとめられたんです。

 そして、あの歌を、ベクの声で、もう一回聴きたくてたまらない気持ちでいます。

 

 ああ、ちっきしょーめ…!

 やっぱ、ベク、好きでたっまんねーぜ…………!!

(と、彼への愛は、最近、逆ギレ風味の言辞で閉じられる・笑)

 

頭脳派? ──「Beautiful Goodbye」

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 ベクとジョンデの歌唱の作りあげかたについて、私はいつも「きみたち、それ『感性』でやってるの? それとも『頭脳』で?」って訊いてみたくなる。

 

 「歌い手の感性」をコンパスにして、感覚的、本能的に「このフレーズをこう歌うこと」を選びとっているのか。

 

 それとも、「歌い手の頭脳」を働かせて、計算ずくの意図のもと「あのフレーズは、ああ歌おう」と決定しているのか。

 

 

 ベクはその「頭脳」と「感性」の両方を、非常にバランスよく使っている歌い手なんじゃないかっていう気がするんだけど。

 

 どうですか、キムジョンデくん。

 きみは、どっちかっていうと、「頭脳派」なんじゃない? 

 ていうか、「徹頭徹尾、『頭脳派』」なんじゃない?

 

 会場の大きさ、オーディエンスとの距離、音響の効果。

 それらをはかって、声の余韻がどう響くかを考え尽くしたうえで、きみはあの歌唱をつくりあげている気がする。

 まあ、その「頭脳」というのも、「感性」がベースになって働くわけで、どちらを使い分けているのか、という設問自体がナンセンスなのかもしれないけれども。

 私は今回、きみの「Beautiful Goodbye」を聴いていて、きみは、「頭脳を働かせて」あの歌を歌い上げたんじゃないか、という気がしてならなかったんですよ。

 

 ──ああ、なんてきれいな声だろう、歌だろう。

 聞いている間じゅう、ずっとそう思っていました。

 

 最初の「ウリ」という単語の、メロディの乗っけかた。

 きみの息の音、声に息が混じるところ、声が弦楽器のようにふるえるところ。

 その余韻の残りかた。

 「視野がぼやけて」……の直前の沈黙。(←ここがほんとうにすごい……会場のペンライトも全部、消えて真っ暗になるし、聴衆が1人残らず、彼の歌声に聞き入っているのが、強烈に感じられる)

 そして、その沈黙のあと、きみの声だけが聞こえてくるところ。(ピアノの伴奏は、きみの声をそっと追いかけるように続いてくる)

 きみを下から照らす、白いピンスポットの光。(「devine」という単語を思い浮かべた)

 最後の4回の「ウリ」。

(私は、あの4回の、全部が異なる「ウリ」に、この歌のすべてが込められている、と思う)

(ちなみに、2番の歌い出しが、私は最高に好きかもしれない)

 

 それらもろもろの素晴らしさを作り上げたのは、きみの「頭脳」と、それに裏打ちされた「大きな努力」だったんじゃないか──という気がしています。

 根拠、ないんですけどね(苦笑)。

 あの歌声は、きみの大きな努力の上に築かれた、精緻な歌唱だ、という印象を強く持ったから。

 私は、CDでこの曲を聴いているときには、かなりの確率でうっかり涙がこぼれるんですが、ステージのきみの歌声を聴いているときには、その歌唱の作り上げかたに、ほんとうに惚れ惚れとして耳を傾けています。

 

 この歌が、単なる悲しい「恋人たちの別離」の歌に終わってしまわず、ある種の明るさの感じられる美しい調べとして、聞き手の心に届けられるのは、この歌の主人公が、ひとつの希望として、「僕たちの別れ」を選んでいるからなんだと思っています。

 

 ひとりの青年が、その恋人との別れを選びとり、そして新しい道を歩き出そうとしたこと。

 それが彼と恋人にとって、最良の道だと信じたからなのだ、ということ。

 ──私のように、すれっからしの大人にとって、そんな恋の終わりは、非現実的な、まるで、おとぎ話のようなものだとして、感じられてしまうのだけど。

 

 けれど、その「おとぎ話」に、きみの歌声は、息と命を吹き込んでくれたんだと感じています。

 私があの「おとぎ話」にシンパシーを感じられるのは、きみの歌声がすばらしいからです。

 

 「僕と彼女」が、「僕ときみ」になり、それが「僕たち」になる。

 けれどいつしか、「僕たち」であることが終焉して、その関係性が「僕と彼女」に変わっていく。

 春が夏に、夏が秋に、そして冬へと移り変わるように、押しとどめられない変化で。

 

 この歌の主人公は、最後の「僕たち」の瞬間にいて、次にくる新しい季節を、「僕と彼女」として迎えようとしている。

 

 きみは、そんな恋をいくつ、したのかな。

 そんな「最後の4月」を、どんなふうに、乗り越えてきたのかな。

 

「Cry」

 

 わりとこれを書くのは、不惑すぎの身には恥ずかしいんですけどね……

 ええと、勇気を出して書きます。

 

 先述したように、私がすわっていたのは、スタンド中ほどの、センターよりすこし左側の席。

 彼らがムービングステージに乗っかって、会場の最後方に来て、そのムービングステージが高い位置に上がりきったとき、かなりの近さで演者を見ることになる。

 そして、「Cry」を歌うときには、ジョンデくんは、フォーメーション的にいうと、左側のポジションにいるわけで、すなわち、私は「ジョンデ側」にいたわけです。

 

 肉眼で、彼の顔がはっきり見えます。

 それで、その顔が私のほうを向いています。

 

 で、その瞬間、はっと気づいたんです。

 ジョンデうちわを、自分が持っていることに。

 (それまで、自分がうちわを持っていることをわりと失念していた)(←いろいろツッコミどころ満載)

 

 「あ、見てる」と思いました。

 彼が、うちわと、うちわを持っている私を。

 

 その瞬間、なんかやたら強烈な感覚が、身体のうえに巻き起こりました。

 空から降ってきたみたいに。

 

 ──それがどういう感覚だったのか、一番ちかい言葉を探すとするなら、たぶん「極度の緊張」とか「どきりとした」ってあたりなんだと思うのですが。(足元が瓦解していくような感覚もあった)。

 「快」なのか「不快」なのかさえ、自分自身で判別がつかないほどの、やたら強烈な身体感覚を味わったんです。

 

 言葉にしてしまえば、「大好きなアイドルくんがそばに来てくれて、自分を見てくれたような気がして、どきどきしました」ということにすぎないんですが。

 

 あの強烈な感覚は、わりと人生のなかで「数回かも」というレベルのものだったかも──しれないです。

 

(まずい、ジョンデについて書くと、ガチすぎてオチがないぞ!・苦笑)

 

(わーん、シウミンさんについても書きたいこと、いっぱいあるのに……筆が遅いタイプですみません。シウペンさんごめんね、もうすこし待っててください、また遊びにきてくださると嬉しいです。私、3回目でまた泣いたんですよ〜。シウミンさん、大好き、ほんとうに好き(涙)。

 ああ、ここで時間切れになってしまいました……もう出発します! シウミンさんについては、また次回!)

 

(この記事は「CBXに夢中!」53です。)

 

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(今回、たくさんの方から、お言葉を頂戴しておりまして……すべて嬉しく拝見しております。お一人お一人に、全然お返事が書けなくて、ほんとうにごめんなさい。でも、本当に嬉しく拝見しています。心から、感謝申し上げます。

 そして、なんだか、自分の感想ばかりを書き連ねた記事で、ちゃんとレポできていない感じでほんとうにごめんなさい。また、お目にかかった読者さま、そのご縁でお目にかかった方、お話ができて、とても嬉しかったです、お土産のお菓子やソンムル、ありがとうございます。隣席でお話ししてくださった、Sさん、どうもありがとう。娘と同い年のあなたと言葉を交わすことができて、とても楽しかったです)