「えくぼ」というタイトルの、2017年の10月7日に書いた、ファンフィクションです。
イーシンさんもジョンデくんも、まだ2人とも、練習生という設定の短いお話です。
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親しく言葉を交わすようになってから1ヶ月とすこしたつが、チャン・イーシンという人物の輪郭を、ジョンデはいまだによくつかめずにいる。
仕草やふるまいが、とても大人っぽいひとだ、と感心していると、とつぜん、小学生みたいな幼稚な悪戯を考え出したりする(しかも実行する)。
合理的で、明晰な思考の持ち主なんだな、と考えていると、その一方で、過剰なほどつよく深いシンパシーを、誰かに向かって寄せたりもする。
かといって、優しいひとかと思えば(確かに、彼の物腰はいつも優しい)、わりとドライに、自分の周囲の人間関係を見つめてもいる。
なんだかほんと、よく、わからない。
「このヒョンは、こういう感じのひと」という自分が抱いた印象を、常にあっさり裏切ってくれるので、この中国人の先輩と一緒に話していると、19歳のジョンデの頭のなかは、わりと「?」でいっぱいになる。
けれども彼と一緒にいるのは、とても楽しい。
イーシンは、心のなかにたくさんの引き出しを持っている。
そこから魅力的なものを次々ととりだして、そっとジョンデに見せてくれる。
──そんな気分になるからだ。
そして、そういう気分にさせてくれる友達を、それまでジョンデは持ったことがなかった。
「ダンスシューズを買いたいから、時間があったら、案内してほしい」とイーシンから頼まれたのだが、ジョンデ自身は、ダンスシューズの専門店など、行ったことがない。
(つい2ヶ月前に、今の会社の練習生として契約を結んだばかりなのだ。親を説得するのが大変だった)。
ぱぱっとスマホで調べると、いくつか、店舗の候補が出てきたので、それを見せると、「これか、この店に行ってみたい」とイーシンが言う。
「いいですよ」
ふたつ返事で引き受けたら、自分の顔が、自然と大きく笑うのを感じた。
9月の終わりの、青い空がとてもきれいな日の午後、ひとつ年上の彼と電車に乗って出かけるのは、たしかに心躍る計画だった。
*
スマホの情報を頼りに出向いた「靴の専門店」は、倉庫のように大きな店舗ではあった。
背の高いイーシンでさえも見上げるような高い棚が、何列も並んでいる。
棚から棚へとふたりで見てまわったが、目にするのは、スポーツ選手やアスリート系向けの靴だのスパイクばかりだ。
「すみません、こちらにダンスシューズは……?」
店員を呼びとめて、イーシンが尋ねたのだが。
「ダンスシューズ……えーと、うちではあまり、お取り扱いがないのですが、一応このへんに……」
そう案内されたのは、人の気配さえあまりないような奥まった一角で、ほんとうに「申し訳程度」の品揃えしかないようだった。
これでは、イーシンが言っていたような「試し履き」うんぬんのレベルではない。
「……これじゃ、しょうがないねえ、ジョンデ」
あーあ、という顔のイーシンが言った。
「すみません……」
がっくり、してしまった。
「もっと、きちんと調べておけばよかったです。ちゃんと案内できなくて……」
スマホで調べるだけではなくて、ダンスシューズに詳しそうな誰か、たとえばミンソクやジョンインに、事前に尋ねておくべきだったのだ。
しかも、イーシンは地下鉄の乗りかたにも慣れているし、韓国語だって、ジョンデの力など、まったく必要がないくらいに流暢に話す。
俺、なにひとつ、このヒョンの役に立てていないじゃないか。
──そう思うと、ジョンデはうなだれてしまう。
せっかく「案内してくれない?」って、頼まれたのに。
「ジョンデ、どうしたの?」
だがイーシンは、うなだれた自分のことを、ひどく不思議そうな顔で見ている。
「どうしてジョンデがそんな顔をするの?」
「だって。──ちゃんとしたダンスシューズの店に、案内できなかったから。……シューズが買えなかったら、ヒョン、困るでしょう?」
「ああ、そんなことか」
ふふふ、と目を細めたイーシンが笑った。
「いいよ、ジョンデ、気にしないで」
「でも」
「だって、ダンスシューズなんか、口実だもん」
──え……と?
「今日、すごくきれいに空が晴れていたでしょう?」
微笑しながら、イーシンが言葉を続けた。
片頰にだけ、えくぼをきゅっと浮かべたその表情は、このうえなくやさしく無邪気なのだが。
「窓から外を見て、ああ、気持ちのいい午後だなあって思って」
──それはそうですけど。
ヒョン、すみません。俺、話が見えないです。
「こんな日に、ジョンデとふたりでお出かけしたりしたら、きっとすごく楽しいだろうなあって思って」
──ええ。
「どう言えば、ジョンデ、僕と一緒に来てくれるかなあって考えて。……それで適当に思いついたのが、ダンスシューズのことだった」
ふうむ。なるほど。
「だから、シューズ、買えなかったけど、ジョンデは気にしなくていいよ」
はあ。
「それ、口から出まかせの嘘だから」
……はあ。
よくわからないのは、そういう「ネタばらし」を、このひとがあまりにもたやすく口にすることだ。
悪びれもせず。しごくあっけらかんと。
「ごめんね、ジョンデに、嘘、ついちゃった」
そう言って、背の高い彼は、わざわざ体をかがめるようにして、ジョンデの顔をのぞきこんだ。
そして、花がふわりとひらくときのような微笑を、ジョンデの目の前で浮かべた。
きゅっと浮かんだえくぼ、細められた目。
自分を見ている瞳が、たとえようもなく甘い。
そう思った。
「い──いい、です、けど。……別に、俺は。ヒョンがそれでいい、なら……」
この中国人の先輩と話していると、ジョンデの頭のなかは、わりと「?」でいっぱいになる。
だが、イーシンよりも、もっとわけがわからないのは、ジョンデ自身のほうだ。
まったく悪びれもせずに「嘘をついた」と言われて、腹をたてない自分。
目の前で花のように微笑まれて、あっさりこのひとを、許してしまう自分。
それどころか、そのひらいた花に目を奪われて、ほかのことなど、どうでもよくなってしまっている自分。
なぜか異様に速いスピードで、心臓を稼働させている自分。
そういう、俺自身のことのほうが、よっぽど、わけがわからない。
靴屋を出て、駅まで歩いて戻り、「おなかすいたから、なにか食べよう」という運びになった。
目についたファーストフードの店にふたりで入る。
赤地に黄色の「M」の文字がトレードマークの、例のハンバーガーショップである。
ジョンデは適当にハンバーガーとコーラとポテトのセットにしたが、イーシンのほうは、「マジで」と思ってしまうような組み合わせを注文していた。
ホットアップルパイとシェイク(ストロベリー味)。
その、激烈に「甘いもの」×「甘いもの」みたいなコンビネーションというのは、いかがなものか。
トレイを手にしたふたりが、狭い店内を歩くと、行き交う女性という女性の視線が、すっとイーシンを見るのがわかった。
テーブルを拭いてまわっている清掃のおばちゃん、スマホをいじりながらコーヒーを飲んでいる美人のお姉さん、きゃらきゃら笑いさざめいている制服の女子高生、買い物帰りらしい紙袋をたくさん手にしたマダム。
年齢・職業を問わず、とにかくすべての女性の視線が、イーシンに向けられるのだ。
ジョンデひとりでウロウロしているときには、絶対に起こらない現象で、「やっぱりなあ」と思った。
やっぱりなあ。ヒョン、かっこいいもん。
その日、イーシンは、サマーセーターとブルージーンズという、ごくシンプルな組み合わせを身につけていた。
ただし、そのサマーセーターというのが、かなり印象的なしろものだった。
ベージュを基調としているのだが、濃い茶色と紺色、それからターコイズの3色で、ネイティヴ・アメリカンっぽい幾何学模様が大きく入っている。
そして、これが大問題なのだが、ボートネックの襟ぐりが結構な感じで大胆にあいている。
ブレスレットやペンダントなど、小さな装身具を身につけていることの多いひとだが、今日、彼の首元を飾るアクセサリーは何もない。耳たぶに小さな琥珀色の石のピアスをつけているだけで。
そのかわりに、彼の喉仏や鎖骨や、そのまわりの筋肉が、肌に浮かび上がらせるかすかな陰影がはっきりと目に入る。
自分のその「生の肌」が、何よりもうつくしいアクセントになることを、彼は十分に理解しているのだ。
なにか一部分だけが突出して美しい、というより、イーシンの場合、全体が整っていて、美しいという印象を作り出している。
目のかたちが、とか、鼻筋が通っている、とか、そういうひとつひとつの顔のパーツの出来不出来ではなくて。
すべてのものがバランスよく、「あるべき場所」に「あるべきかたち」でおさまっている。
そういうふうに、美しいひとだ、と思う。
そんなことを考えながら、小さなテーブルの向かいにすわる彼を見ていたら、やや視線が不躾だったらしい。
アップルパイのパッケージを、ぺりぺりと剥がしているイーシンが「どうしたの」と笑った。
「どうしたの。なんでそんなに、僕をじっと見てるの」
──まさか、あなたが。
「え? ……いや、べつに何も」
──とてもきれいだから、見とれていた、だなんて。
言えるわけが、ないから。
「そう言えば、ジョンデ、誕生日いつ?」
とつぜん、話が全く別のところに飛んだ。
彼と話していると、わりとそういうことがある。
「あ。えっと……9月21日です」
さして気にもとめずに、ごく普通に答えたのだが。
「え? なんでなんで、ほんとうに?」
イーシンの声がワントーンはねあがって、目の前のきれいな顔に「ひどくショックを受けた」という表情が浮かぶ。
予想外の激烈なリアクション。なにか俺は、まずいことを言ったのか?
「先週じゃないか、きみの誕生日」
「あ。そうでした……けど」
「じゃあ僕は、ジョンデの誕生日を祝えるようになるまで、1年ちかくも待たなくちゃいけないのか?」
あ。
ええと。
そんなふうに。
真顔で言われましても。
またどきどきしはじめてしまった、ジョンデの心臓に追い打ちをかけるように、むかいにすわる彼が、「ま、いっか」と微笑んだ。
「ま、いっか。……プレゼントも何もないけど。──ジョンデ」
改まった感じで名前を呼ばれた。
「あ、……はい」
「遅くなっちゃったけど、ジョンデ、誕生日、おめでとう」
──ああ、ほんとうに。
このひとは、なんて。
「あ……ありがとう、ございます」
──なんて、きれいな笑いかたをするひとなんだろう?
「ジョンデにとってのこの1年が、とても素晴らしいものでありますように」
イーシンが花のようにほほえんでいる。
今この瞬間、ジョンデのためだけに。
その片頰に、きゅっとえくぼが浮かんでいて、やっぱりジョンデは見とれてしまった。
──『えくぼ』fin.
レイヒョンお誕生日おめでとう♪ そして、ジョンデくん、遅くなっちゃったけど、ハッピーバースデイ!!
(2017.10.07)