(この写真、しみじみと好き。なんか、みんなが、とてもみんならしい。)
1
今よりいくらか前のことになりますが、とあることがきっかけで、チェンくんの周辺が騒がしくなったことがあります。
そのきっかけになってしまったこと自体は別に問題になるような話ではなく、彼のプライベートなんだから、ファンだったらそっとしておいてあげようよ、という類のお話です。
私自身がEXOくんたちよりもずっと大人の年齢であるということも関係しているのでしょうが、私にとってその一件自体は、ショックなできごとではありませんでした。
それよりも悲しいなあ、と思うのは、(それからかなりの時間が経過した今でさえ)彼の名前を検索すると、その関連のワードがサジェストされてしまうこと。(それが、なんとも言えず、イヤーな単語なんですよ)
そしてもうひとつは、チェンくんのことを大好きなファンの方が書いていた、とあるブログが、その件をきっかけにするようにして更新を止めてしまったことでした。
ネットに漂う無数のファンブログのなかでも、そのブログは、とてもきちんとした言葉で書かれていました。
知的で抑制が効いた書き口、ちりばめられたウィット。
ファンとしての感情をただ書き連ねてあるのではなく、ユーモアという形で昇華させた大人のラングエッジで書き綴ってあるので、読んでいくのがとても楽しかった。文章の向こうから、ブログ主さんの「ピン!」と高い感性のアンテナが立っている感じが伝わってくるような、そんなブログでした。
チェンくんの周囲が騒がしくなったときに、そのブログ主さんは、その原因となった一件についての所感をいくつか述べたあと、しばらくはファン活動をお休みしたいと思っている、ということを書いていらっしゃいました。
そして次に、チェンくんへのメッセージが綴られていました。
彼のヴォーカリストとしての才能を高く評価していること。
こういう一件が、これからの彼の活動にネガティブなイメージを与えてしまうことで、彼の持つ才能にも悪い影響が及ぼされてしまうのでは、と危惧していること。
けれどもやはりファンあっての芸能活動ではあるので、ファンの気持ちを大切にしてあげてほしいこと。
「ファンを心で抱きしめてあげてね」。
——彼女のメッセージは、そんな言葉で締めくくられていました。
そして、その言葉は、とても長いこと私の胸でとどまり続けました。
「ファンを心で抱きしめてあげる」って。
それはいったい、どういうことを(具体的に)指しているんだろう?
2
EXOの公演に行ってみて、しみじみと感じたことがあります。
それは、コンサートというのは、実は、想像していたよりも、かなりインタラクティヴな場所なのだなあ、ということ。
いつもは、一方的に見つめるだけの存在のEXOのメンバーが実際にそこにいて、私が見ているものを彼らも目にするのだし、彼らが聞いているものを私も耳にしているのです。
同じ時間に、同一の空間で。
そして、だからこそ生まれる「双方向的なやりとり」というのが、コンサートには想像以上に多く存在していました。
それは、家でDVDや動画を見ていただけではわからなかったことでした。
MCのとき、「ギョンスー!」という客席からの呼びかけに「はい」(思わず、という感じでしたね・笑)と答えてくれたギョンス、とか。(彼が即座に答えたので、客席から笑い声があがりました)(12月24日・福岡)。
「次の公演は東京で……」と言ったチャニョルに、観客から「ちがうよー」「さいたまだよー」みたいな声が次々と上がり、それを聞いたチャニョルが「……?」という顔になったこと、とか。
そのとき、「さいたま」とギョンス(——だったと、思う、たぶん)が教えてあげて、さらにチャニョルが、「さいたま……さいたまは、東京、でしょ? ちがう?」などというやりとりがあったり。(24日・福岡)
ベッキョンが観客に持ちかけて、会場全体でこたえた、「チョア?(好き?)」「チョア!(好き!)」の掛けあい。(24日・福岡)。
カイのズボンが破けちゃう、というすごいハプニングだって、私たちとメンバーで共有したのです。(23日・福岡)。
コンサート終盤ちかくのMCのとき、とつぜん、男性の低〜い声で「ベッキョン!」という呼びかけがあったときには、ベッキョンも「おっ?!」と驚きながら喜んでくれたし、会場からも温かな笑い声が上がりました。(27日・さいたま)
そして、その翌日にはさらに「男性ファンがいてくれることが、とても不思議で、嬉しいです」とベッキョンが(日本語で)言い、会場の男性ファンに、声をあげてくれるようにお願いして(これも日本語で)、会場にいる彼らが声をあげてくれる場面もありました。(拍手が起こっていましたね。笑) (28日・さいたま)
歓声・笑い声・拍手、曲のかけごえ、客席でいっぱいに揺れている美しいペンライトのあかり。
私たちが発するそれらのものは、ステージの上にいる彼らに、確かに届くのです。
私は、たくさんのオーディエンスを構成する一人にしかすぎず、個の存在として、EXOのメンツに認識されているわけでもなんでもないけれど、それでも、観客のひとりとして、彼らと(一方通行ではなく)双方向的なやりとりを交わした、という強い実感を得ています。
そして、そのことがもたらす大きな幸福感や強い興奮を、私はあの会場で実際に体験してみるまで、想像すらしていませんでした。
言葉にすれば「大好きなアイドルと同じ空間にいる」というだけのことになってしまうのですが、あの場に身をおいてみると、そのことは、もっと深く、もっと大きな意味を持っていることに気づかされます。
陶酔。白熱。忘我。夢中。
そうなりながらも、この時間は、ほんの刹那で、終わってしまうこともわかっている。
けれども、だからこそ、私たちの感情は深められ、強まっていく。
3
私が好きだったチェンペンのブログ主さんが書いていた「ファンを心で抱きしめてあげて」という言葉を、コンサートの間、私は何度か思い返していました。
「ファンを心で抱きしめてあげて」——というのは、とりもなおさず、「ファンの存在を大切にして、愛してあげてほしい」ということだろう、と思いました。
そして、あの会場にいた私は、ステージ上の彼ら全員から、「ファンとして、とても大切にされ、愛されている」という強い感覚を得ていたからです。
顔を上気させて(このひと、ほんとうに嬉しそうに、顔全体が赤くなってるんですよ)、一生懸命、日本語を話そうとしていたチャニョルからは、「自分自身の言葉で、オーディエンスとやりとりしたい」という強い彼の気持ちと、これまで重ねてきてくれた努力を感じました。(ありがとう)。
日本語でのコミュニケーションなら、ベッキョンだって、チャニョルに負けてはいません。
MCのときに彼が話した韓国語を、通訳さんが日本語にすると、彼はすぐさまそれを復唱することを何度か繰り返してくれたけれど、それって、ベッキョン自身にかなりの日本語の素地がないと、できないことだと思うのです。そして、それほど強く、彼は「自分で話す言葉を、この場で、直接、ファンに届けたがっているんだな」と感じました。
——ちょっとだけ白状すると、私は、職業が語学教育に携わることなので、その「相手に直接、自分を伝えたい」「相手の言葉を直接、受け取りたい」という原初的な欲求こそが、第二言語を学ぶときの、もっとも大きなエネルギーになることを経験的に知っています。
クサい言い方になってしまうんだけど、ほんとうにこうとしか言いようがない。「伝えたい」「知りたい」っていう気持ちは、ものすごく強力なエンジンなんですよ。
ここ1年間ぐらいの、ベッキョンの日本語力の進化のスピードにはほんとうに目をみはるものがあると思います。それは彼の中に、「日本のファンに直接伝えたい、相手の言葉を直接受け取れるようになりたい」という強い欲求があるからなんだと感じています。
ステージのうえで「日本語を喋りたがっている」ベッキョンを見ると、ああ、日本のファンは彼から愛されているし、大切にされているなあと思うのです。彼は、私たちの近くに、とても近くに、やってきたいと願っているんだなあ、と。
日本語力といえば、12月23日の福岡公演で「日本語が話せない自分自身に腹が立ちます」「もっと話せるようになりたい」と言っていたミンソクが、このたった1ヶ月の間で、彼自身を変えてきたことに驚きました。
さいたま公演の彼は、「できるだけ多く、日本語で合いの手を入れる」ようになっているのです。
ご存知のように、韓国での活動のときでさえ、チャニョルやベッキョンのように「トークのときに、前へ前へ出ようとする」というひとではないにも関わらず、です。
28日のさいたま公演で、ベクとのダンスバトルがはじまるときに「いくぜーっ、さいたまーっ!」と叫んでくれたのは、きっとあの場にいらっしゃった方のご記憶にもあることだと思います(スホさんがMCで取り上げてくれましたしv)。でもそれって、ふだんのミンソクさまのキャラじゃないじゃないですか(笑)。
私は素で驚いたし、同時にほんとうに嬉しかった。硬い殻を破るようにして、彼が変わろうとしてくれていること、そして実際に変わってみせてくれたことが感じられて、心の底から嬉しかったんです。しみじみと。
チェンくんは、あの澄んだ声とあいまって、日本語の発音がすごくきれいで、聞き取りやすい。そして、お辞儀をするときに、とてもとても丁寧に頭をさげてくれる。
日本のファンとは、言葉の壁があるぶん、お辞儀をすることに彼自身の真心をこめてくれているような気がして、その姿を見ると胸が熱くなります。そして、27日の最後のコメントでの「大好きだよ」。
ありがとう。私もチェンくんのことが大好きです(真顔)。
韓国語だったけれど、28日の最後のコメントで、わりとつっこんだ内容の話をしてくれて、やたら面白かったのがセフナ(27日もきみらしいトークで、楽しかったですよ)。
「脱がなかった」ことにまつわるお話なんだけれど(ふふ)、非常にうまく会場をまきこんで湧かせていたし、観客を上手に楽しませてくれたと思います(このひとはこのひとで、ベッキョンやチャニョルとは違う種類のオーディエンスの掌握力が高いひとだ)。
うちのマンネは、マンネのくせになかなかやるじゃありませんか、とリーダーにぜひともお伝えしたいw。
そのスホさんは、素敵な角度から彼自身の言葉を紡ぎだせるひとだなあと思いました。ファンへの感謝の気持ちや愛情を、通りいっぺんのクリーシェではなく、彼自身の言葉として語ることができるひと。
(私は昨年の京セラのコンサートで、彼が語った言葉をDVDで見ていて、泣いてしまいました。去年、私を泣かせたのはチャニョルと、スホさん、アナタですよ)。
ギョンスは、あの大きな目を動かして、会場のあちこちに視線を走らせながらコメントをしてくれる。
ゆっくり、はっきりとした深いあの声で、彼自身の日本語を話すとき、できるだけたくさんのファンと視線を交わそうとするかのように、このひとの目は、すばやくさまざまな場所をじっと見つめていくのです。
(そして、お辞儀。このひとのお辞儀も、心がしっかりこもっているなあ、と感じる)
カイ。彼の「渾身の」(としか言いようのないものを感じました・笑)ポッポ(27日さいたま)について書いてしまうと、そのこと自体が嬉しかったように誤解されそうだけれど、私はそれよりもむしろ、シャイな彼が、その心理的なハードルを乗り超えて、あの表現方法であえて、ファンへの愛情と感謝を伝えてくれたことのほうに感激しました。
どのメンバーも、彼らなりの方法で、その能力を最大限に使って、ファンのことを大切にしてくれている。私たちへの愛情と感謝を伝えようとしてくれている。
衣装の色が変わってしまうほどかいていた汗、会場に向けてくれた笑顔、オーディエンスに手を振るその姿。
何より、あれほど高度に完成したパフォーマンスを見せてくれたこと自体そのものが、私たちファンへの最高の愛情表現だったんじゃないかな、と。
そんなふうに思うのです。
(——ええと、ほんとうにすみません、まだこの「チェンチェンに泣かされた」話、続きます…おつきあいくださっている皆さま、ここまで読んでくださって、心から感謝申し上げます)
(また、昨日、当ブログ『EXOにmellow mellow』のPV数が、1万を超えました。開始してから20日たらず、こんなに閲覧していただけるとは、思ってもいませんでした。元ブログからのご縁で来てくださった方、新しくご縁のあった方、ランキングで応援してくださった方、ほんとうにありがとうございます。)
(2018.02.01)
(この記事は「コンサートレポ」⑩・「Chen」(17)です)
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