チャニョルのソロパートについて書きます。
あ、あの、お断りするのがものすごーく遅くなってすみません。──今までのコンサートレポもそうなのですが、この記事は、特に激しく「ネタバレ」して書いています。
それがお気にならない方だけ、以下、どうぞ。
1. チャニョルのソロパート
チャニョルのソロパートは、彼自身が歌詞を書いた「手」(原題は韓国語)というタイトルのラップソングです。
初見時点で、私は、そのことをまったく知りませんでした。
照明が切り変わって、舞台に青い光が満ち、白いスポットライトがひとつだけ落とされます。
黒いチェスターコートを着たチャニョルが、ひとりでその光の輪のなかに立っています。
ズボンも黒、コートの中のタートルネックのシャツも黒。
だから、彼の顔と手だけが、明かりに照らされて、白く光っているように見えます。
実際に舞台に立つ彼を見たのは、その日が初めてだったのですが、ほんとうに背の高いひとだな、と思いました。
いや、パク・チャニョルくんの背が高いことぐらい、ファンなら百も承知、なのだけど。
自分より小さかったはずの弟に、はっと気づくと背を抜かされていたときのような驚きで、ステージの上の彼を見たときに、まず、しみじみと感じたのです。
ああ、このひと、ほんとうに背が高いんだな、と。
彼のラップが始まると同時に、スクリーンに彼の顔と歌詞の日本語訳が映し出されました。
韓国語がまったくわからない私は、その歌詞を目で追っていたのですが、しばらくするうちに、「あ、これ、チャニョルが書いた歌詞なのかな…」と思いはじめ、次第にそれを確信していきました。
その理由は、2つほどあります。
チャニョルが作詞したのでなかったなら、韓国語がわからないオーディエンスに向けて、初めて聴くことになるラップソングを、こんなふうに字幕つきで彼にパフォーマンスさせたりしないな──という「合理的説明」が一つ目の理由。
二つ目の理由は、その歌詞が、非常にストレートな言葉だけで(ある意味思い切りよく)構成されていたからです。
彼が作詞した「Heaven」がそうだったように。
2. 彼のレバレッジ
「言葉」というものを材料にして、何かを表現し、それを一つの作品として提示するからには、「生のままの言葉」を綴らないほうが、むしろ表現したい内容が直接的に伝わるのではないかと、私は思っています。
たとえば、「悲しい」を表現しようとして、「悲しい」とじかに言ってしまうと、その作品は、「悲しい」という感情から最も遠ざかってしまうことが往々にしてあるのです。
けれどもチャニョルが書いた「Heaven」は、「悲しい」ので「悲しい」と言ってみました──的な言葉づかいで構成されている歌詞です。
ストレートもストレート、直球も直球。
でも、そこがものすごく、「チャニョルらしい」。
そして、あまりにも「Heaven」の歌詞がストレートであるために、一読したときに私は、「チャニョルはきっと、これをものすごく一生懸命書いたんだろうな」と思ったのです。
その「チャニョルらしい」歌詞が、センチメンタルで非常に美しいメロディに乗せられて、「EXOのメンバーたち」がそれを歌い継いでいくとき。
「彼らしさ」は大きなレバレッジになります。
「チョニョルが一生懸命書いた歌詞」は、ただの直球ではなく、ものすごい「豪速球」になるのです。
パク・チャニョルという青年は、持っている豊かな感情を、あまりにもたやすく、無防備なまでに見せてしまうひとです。
憧れの何か、大好きな何かを見つけると、即座にガッツポーズで喜んだり、にやにやしちゃうのがおさえきれなかったり。
「大丈夫なのかな、世知がらい芸能界でアイドルなんかやってて」と、ついつい余計な心配までしてしまうくらい。
あの特徴的なかたちの耳まですぐに真っ赤にしちゃって怒ったり、笑ったり、泣いたりするような、そういうとても純粋なひと。
おそらくは、私自身がかつて持っていたのに失ってしまったものを、勝手に彼の上に思い返しているからなのだとしても。
チャニョルが純粋であることを、稀有なことだと思い、いつまでもそうあってほしいと、つよく願うのです。
3. 「手」という歌の歌詞
「手」という歌の歌詞は、最初「かつて同じ夢を見ていたのに」「去っていった仲間たち」へのメッセージからはじまります。
たぶん、「脱退した3人」への言葉、と考えるのが妥当なのですが(書いた時期から考えても)、私は、この公演の数日前に、ほんとうに遠いところへ一人で行ってしまった、SHINeeの彼のことを、どうしても思い浮かべてしまって、それがやめられませんでした。
この公演の2日前、私は、残された4人が彼の棺を送り出す葬列の映像を目にしていました。
せめて一緒にお祈りをしようと思って見はじめた映像だったのに、見たら4人のメンバーがあまりにも憔悴しきっているので、また涙が出てきて止まらなくなってしまいました。
チャニョルの書いた歌詞は、離れていってしまった仲間を責めるのではなく、「もっと長く目を合わせていれば」「もっと強く手をつないでいれば」「もっと高く飛べただろうか」と続きます。
(記憶を頼りに書いているので……字句として間違っているだろうと思うのですが)
そこで音楽が一転して、ステージのライトの色が白く変わり、チャニョルの後ろのスクリーンには、白い羽が舞い散るようすが映し出されます。
「疲れきったとき」「苦しいとき」「孤独なとき」
「8人の手を握りしめる」
「そうすればまた走っていける」
歌詞はそんなふうに続き、そして調子を高めながら、幾度か繰り返されます。
「8人の手」というからには、その手は、あきらかに「EXOのメンバーの手」のこと、です。
直球も直球、ストレートもストレート、歌詞もステージの演出も、「ちょっとあまりにも」と言ってもいいぐらいに、ベタです。
ベタなんですが、どうしようもなくまっすぐです。
バカみたいですが、泣いてしまいました。
強くなっていくチャニョルの声、彼が一生懸命、紡いだことば。
「その8人の手を、どうか絶対に離さないで」
「いつまでも、みんな一緒に」
「ひとりの手も離さずに、お願いだから、ずっと走り続けていて」
そんなふうに、願ってやまなかったから。
心から祈らずに、いられなかったから。
ずっとチャニョルを見つめてきたファンなら百も承知のことですが、その日、私が初めて実際に見た彼は、遠く離れたステージの上でも、はっきりと印象づけられるほど、とても背の高い青年でした。
マイクを握りしめた、黒いチェスターコートの姿は、若い樹木のように見えました。
冬の原野にひとりで立って、空の高い、とても高いところまでその背を伸ばしたがっている、きれいな一本の木のようでした。
(2018.01.02)
(この記事は「コンサートレポ」⑥・「Chanyeol」⑤です。)
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【夜ふチョコ・追記】
この記事は、発表した当時、検索によって、非常にたくさんの方が訪れてくださり、それまでウェブの片隅でほそぼそ〜と書いていた私にとっては、エポックメイキングな記事となりました。
そして、今、読み直してみると、あの頃とはまた違った感慨で、「どうかみんな、その手を離さないで」と強く思いました。
この願いを、もちろんEXOのメンバーひとりひとりが持っているのはよくわかっているのだけど、こうやって、とてもストレートにラップにしてくれるのは、チャニョル、やっぱりきみなんだよな、との思いを新たにしています。(2020.03.13)
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(画像はお借りしています。ありがとうございます)