23日(福岡2日目)の公演で、私がベクに感じていた「もやもやしたもの」というのは、こういう経緯のできごとです。
1. もやもやしたもの
コンサートの中盤より手前あたり、(スホのソロパートに行く前)、全員スーツ姿@バーのセット、で。
「Call Me Baby」「Touch It」という、ノリのいい曲が続いたあとでのできごと。
(この「Touch It」は、とにかくジョンデがスタンドマイクで「キメッキメ」で歌っていた。
あの困り眉を思いっきりひそめて。
私はあのひとのあの表情を見ると、なんだかこう、赤面してしまうほどドキドキするんですけど、やっぱり「キムジョンデ病」の症状のひとつでしょうか?)
ギョンスのソロパートになったんですが、それは「for Life」を英語の歌詞で歌う、というものでした(ピアノの伴奏がチャニョル)。
転調する箇所で、「あ、あ、ちょっと…」という感じで、音程があやうくなりかけたのですが、ギョンスはぐっとそこで持ちこたえて、うまいこと、まとめあげた歌いかたをしました(24日のほうは、パーフェクトに歌えていました)。
そこはつまり、楽曲として「一番の聴かせどころ」なわけですが。
それを外さずに、ぴしっと決めてくれたおかげで、聴いているこちらとしては、「ああ、いいものを聴かせてもらった」的な、とてもここちよい感情を感じることができるのです。
歌って、最初とか最後、そして「キメの箇所」を、きちんと「決める」って、すごく大事なんだなあ。
──そうぼんやり思いました。
その「決めの箇所」の歌い上げかたで、全体の印象が大きく左右される。
ほかの部分の印象がすべて塗り変わってしまうくらいの大事なところを、しっかり決めてきたギョンスは、やっぱりプロフェッショナルだなんだなあ──などと、感心しながら心からの拍手を送りました。
2. 『Sing for You』
そして、そんなことを考えたあとの、「Sing for You」。
全員がセットにすわって静かに歌うのですが、この曲が流れ出したときには、「おお…」と思いました。
私は「センチメンタル」だったり、「ロマンティック」だったりする(いわゆるベタな)メロディラインがもともと非常に好きなので、この曲自体がとても好きだし、思い入れがあります。
さて、ベクはどう決めてくれるのか。
──と思っていたら、ですね。
「the way you are....」のところで、ベクの声が、ちらっと(ほんと、ちらっとだった)裏返ってしまったのです。
えーと、そのこと自体は、別にいいんですよ、ほんと。
それを「なかったこと」にして、きちんとそのまま歌ってくれればよかったんですよ。
私が「もやもや」したのは、そのあとのことですね。
ベクが笑いだしてしまって、ワンフレーズ歌えなかったのです。
そのあとのチャニョルも、なんだか笑いが伝染しちゃったみたいで、このひとも歌えず、なんだか全体的にぐだぐだな感じになってしまいました。
それをきちっと元に戻したのがギョンス(あー、やっぱり「できる子」なんですよね、彼は!)。
曲の途中で、ベクは「すみません、すみません」と謝り、曲の終わりかけのところで、もう一度、「すみません、すみません」と謝った。
曲の終わりを遮ってしまうようなかんじで。
……う、うーん……。
それが率直な印象でした。
3. 「う、うーん…」
たぶん、一番「う、うーん……」と思ったのは、曲が終わろうとする余韻を遮るように、彼が「すみません」を2回言ったことかな。
声がちらっと裏返っちゃったのは別にいい。
だけどそのあと、吹き出しちゃったのか、歌えなくなったことについては、「もやもや」な気分になった。
そのあと、「すみません、すみません」って謝ったことについて、「もやもやもやもや」ぐらいの気持ちになってしまった。
だって、それによって、あの曲全体の印象が「すみません、すみません」の声で塗り変えられてしまうから。
余韻も何もかも吹っ飛んでしまうと思ったし、たとえ、歌で失敗しちゃったとしても、ベクはあそこで、謝らないほうがよかったんじゃないかな。
同行者のQに、このことの感想を尋ねてみました。
すると、彼女は、私とはまったく異なる思いを口にしました。
「えー、私は全然、そんなことを思わなかったな。ライブならでは、のちょっとしたできごと、だと思ったし、そんな、ネガティブな印象、ないよ。DVDになるときには、こういうの、すべて編集されちゃうんだから、こういう場面を目撃できたのって、ある意味、貴重かもよ」
あれから時間がたって。
もしかして、私が「うーん…」と思ってしまったのは、私側に原因があるのかもしれないと思いました。
まず、私にとってのこの公演自体の第一目的が「ビョン・ベッキョンの歌を実際に聴きたい」だったからです。
なんだかんだ言って、やっぱり私はこのひとの歌声が好きなんです(いまさらの告白)。
それをどうしても、実際に聴いてみたかった。それにつきます。
そのために、北海道からはるばる福岡まで行ったわけなんです。
(ちなみに、ですけど。福岡からの帰り、どエライ目にあってしまいました・苦笑。
おかげさまで千歳までは無事についたんですけど、札幌駅から先が、雪で大荒れでJRがストップ。5時間も足止めを食らってしまいました。
駅は人でごった返してるし、TV局がその模様を取材しに来ているし。
ようやく乗れた電車がこれまた、超絶混んでいましてね(泣)……
でも、それにしても、この足止めが帰路でほんとうに良かったです。行きだったら、飛行機に乗り損なって、あの福岡のチケットがパーになるところでした。ああ、よかった)
最初からベクに関しては(ほかのどのメンバーよりも)、「期待値」がめちゃくちゃ高かったわけです。
つまり、彼に関してだけ、非常にハードルを高く設けた状態で、あの舞台を見たわけで、それでこの一件を必要以上に大きく「う、うーん……」という感じで、とっさにとらえてしまったのかな、と。
あの場所ですぐに、「すみません、すみません」と謝ったのは、彼なりの誠意の表し方だったのかな、と今では思ったりもしています。
23日公演の最後の感想でも、かなりの部分をさいて、「なぜかあまり調子がよくなかったこと」「へんなところで力が入ってしまったこと」「でも、精いっぱい力を尽くしたこと」を口にしていたし。
4. 一瞬で、そしてたったひとりで
CBXの「KA-CHING!」のラスト、(たっぷりタメを作ってからの)ハスキーめの声での「KA-CHING!」にしても。
「KoKo-Bop」の、すこし気だるい夏の夕暮れのような、なめらかな歌い出しも。
「Boomerang」での、とにかく一番前で、全体を強く牽引していくような歌声も。
ステージの彼が「決めなければならない」箇所は、とてもたくさんあるのだけど(やっぱりEXOの「エース」なんですよ、このひと)、そのどれをも、彼はことごとく決めてくれていました。
しかも、そのキメかたが、「自由自在」なのです。
かろやかだったり、ぴしりと、だったり。
否応なしに、だったり、強烈に、だったり、さわやかだったり。
かと思えば、ひどく官能的な方向へと振れたりもする。
センチメンタルだったり、あまくしびれるように、だったり。
太陽はひとつしかないのに、季節や天候、時間によって、その光が多彩な表情を持つように。
ああ、やっぱり彼の歌は、とてもとてもいいな、と思った。
このコンサートは、ベクの歌声からはじまります。
イントロダクションのVCRが流れて(例のギョンスの語りのやつね)、舞台が暗転します。
その真っ暗闇のなか、何も見えない状態で、一番最初に響きわたるのが、ベクの歌声なんです。
(それを歌いつなぐのがジョンデ。そしてこのひとの声もすごくいい)
24日、私にとっては2日目の公演で、ビョン・ベッキョンのはじまりの「すごい声」(──というのが第一印象であり、最終的に帰着した印象)を聴きながら、ああ、このひとの声で、コンサート全体が決まるんだ、と思っていました。
会場にいた観客のひとりにしかすぎなかったけれど、「これからコンサートがはじまる」という、たくさんのひとの強烈な期待感を、私は、ひしひしと感じていました。
その場にいた全員がじっと息を殺すようにして、これからどんなことが始まるのかを、待っている。
観客の大きな期待感は、あのステージに立っていたら、重圧のようにも働くでしょう。
けれども、その重く大きな「期待感」を、一瞬で、そしてたったひとりで制圧して、なお余りあるように響くのが、ビョン・ベッキョンの声なのです。
会場は真っ暗なままで、まだ目に映るものはなにもないけれど。
ああ、目の前で強い光が炸裂したみたいだ、と思っていました。
この場所に響きわたるこのひとの歌声は、目がくらむほどまばゆい、光のようだ、と。
(2017.12.27)
(この記事は、「コンサートレポ」④・「Baekhyun」(12)です。)
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