——新たにその取調官が尋問室にやってきたとき、俺は、おや?と思った。
ずいぶん若い。俺と同じくらいの年齢に見える。
にも関わらず、彼は、周囲の警官・刑事どもから最敬礼で迎えられていたのだ。
上下関係が絶対の法組織において、彼の父親ほどの年齢の男たちが平身低頭で接するということは、すなわち、彼の所属する階級が「かなり高い」ということを物語っている。
なんだ、こいつ。
どうして俺みたいなチンピラの取り調べに、そんな「上の人間」が来る?
「パク・チャニョル、26歳だね。住所不定、無職」
書類をめくりながら彼が言葉を発したとき、もう一度、おや?と思った。
ほんの少しの喋っただけでも、凛とひびく、とても綺麗な声をしていたから。
「覚醒剤取締法違反2件・騒擾罪3件・公務執行妨害、数えきれず」
そのきれいな声で、彼は、俺のこれまでの罪状をご丁寧に読み上げてくれた。
「これまでは執行猶予ですんだかもしれないが、今回の容疑が立件されれば、もうブタ箱に行くしかないな、おまえ」
非常に断定的に言われたが、俺は黙ったままでいた。
カーキ色のコートを着た、この若い取調官が、どうしてこの尋問室にやってきたのか、興味がわいたからだ。
「どうだ? 2、3年、臭いメシでも食ってくるか?」
「……」
「おまえみたいなチンピラには、返ってそのほうがいいかもしれんな、寝ぐらができて」
書類に視線を落としていた彼が、そんな高飛車なセリフを口にしたとき、俺は賭けに出ることにした。
「あのー」
「なんだ」
「……聞きたいことがあるんですけどー」
「言え」
「おまわりさんさー、なんであんた、俺なんかの取り調べに来たの」
おまわりさん、と呼びかけたとき、彼は言葉を返さなかったが、一瞬、ぴくりとその眉が動いた。
「あら。……あんた、おまわりさんじゃないのか」
からかうように言ってやると、彼は書類から目をあげた。
射抜くような視線だった。
「やっぱ、地方警察の人間じゃないんだな。じゃ、あんた、連邦捜査官か?」
「……私の身分を、おまえに明かす必要はない」
「え、そんなのいいんですかー? 公明正大であるべき取調室で、そんな非法行為が……」
そこまで俺が言い募ったとき、突如として彼は、非常に大胆な行為に出た。
手を伸ばして机上のテープレコーダーを止め、なおかつ、ビデオカメラを操作して、その録画をやめてしまったのだ。
わりと、あっけに取られた。
しょっぴかれたことなら何度もあるが、こんなふうに(妙に階位の高そうな)謎の取調官が出てきたのも、そいつが録画機材を停止したりするのも、まったく初めてのことだ。
「単刀直入に言おう」
凛とした声が響いた。
「私に協力するなら、今回の立件をまぬがれるよう、司法取引をもちかけてやってもいい」
「……ふうん? 協力って?」
「ある男の情報がほしい」
そう告げてきた彼の目は、驚くほど無防備に、彼の内面をさらけだしていた。
ふたつの大きな瞳が、燃えるようだ、と思った。……こんなふうに激しい感情を抱いている人間を、俺はひさしく、見たことがなかった。
「ある男って? どんなやつだよ。名前は?」
「本名はわからない。おまえと同じく、ナイトクラブやレストランで、ピアノ弾きをしている男だ。年齢は20代前半から半ば、通称、カイと呼ばれている」
——そこまで彼が言ったとき、俺はようやく、燃えるような目をした相手の意図が読めた。
「あんた。……『天使の詩』が聴きたいんだな?」
その瞬間、目の前の彼の顔色がはっきりと変わった。
さっと血の気が引いて蒼白になり、その後、かあっと上気して赤くなった。
図星だったのだ。
「あんた、カイがピアノで弾く『天使の詩』が聴きたいんだろう。だから、やつを探してる」
「——私はただ、彼に関する情報がほしいと言っているだけだ」
「やめとけ」
「そんなことを、おまえから言われる筋合いはない」
「アレは、——カイの『天使の詩』は、あんたの手に負えるようなシロモノじゃねえよ」
ぴしゃりとそう言ってやると、取調官は俺から視線を外して目を伏せた。
耐えきれない痛みを抱えてしまっている。——そういう顔だった。
当然だ。
カイの『天使の詩』を聴きたいと願う人間は、おしなべて、その理由を彼ら自身のなかに抱えているはずだから。
「あんたさ。……どこの人間だか知らねーけど、あんたが持ってるコネだか権力だかを使いまくって、この尋問室まで、わざわざ俺に会いにやってきたってことは……つまりは、それくらい必死に、カイの『天使の詩』が聴きたいってことだろう?」
俺がそう続ける間、彼は目を伏せたままでいた。
でも、じっと俺の声に耳を傾けている気配が、はっきりと伝わってきた。
「……おまえは、聴いたことがあるのか」
しばらく続いた沈黙を破ったのは、彼のほうが先だった。
その視線は、まだ伏せられたままだったが。
「何を?」
「その、……カイという男が弾く、ピアノを」
「ほかの曲ならあるよ、何度か。でも、アレは……『天使の詩』はない」
そう答えると、思わず苦笑がこみ上げてきた。
「あんた、頭よさそうな顔してんのに、わりとバカなんだな。ちょっと考えてみれば、すぐわかることじゃん」
「——どういう意味だ?」
「もし俺が、アレを……カイの『天使の詩』を聴いたことがあったなら、今頃、こんなところで、あんたと顔をあわせてなんか、ねーよ」
苦く笑った俺のことを、視線をあげた彼が見ていた。
不思議なほどきれいな目だった。——彼がついている職業に、似つかわしくないような、純粋な瞳。
「アレを聴いてたんだったら……今ごろ俺は、天国にいるさ」
(2018.11.06)
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