★『セフナの青春日記』(全12話)のうち、第4話めです。
セフンが22歳の誕生日を迎える頃、という設定のファンフィク。歌が上手くなりたいと決心した彼が、EXOのヒョンたちと対話を重ねていきます。
▼第1話はこちらです♪
「そんで、どんなこと、やってんの? その先生のレッスン」
「あー……まずはソルフェージュですね」
「ああ。『ソルフェ』ね」
さらりと略して、ベッキョンはその単語を口にした。
「そのソルフェージュに、レッスンの半分くらいの時間を使おうって言われて、始めたんですけど」
「ふーん?」
「俺があまりにもデキが悪いせいか、結局、レッスン全部がそれにつぶれてる状態で」
はあ、とそこでため息がこぼれた。
そうなのだ。──指導に当たってくれている先生から、当初、「理論半分、実践半分の時間の割り振りで行こう」と言われたにも関わらず、まず「理論」にあたるソルフェージュで、がつんとコケていて、とても「実践」の段階にまで進めていないのが現状なのだ。
「『聴音』? 『視唱』? どっちを中心にやってるんだ?」
「両方やってるんですけど、まずは『聴音』に重点を置こうって。それがすべての基本になるからって言われてるんですけど」
先生がピアノで弾いた8小節ほどのメロディを、耳でとらえて、五線譜の上に楽譜のかたちで書き出す。それが「聴音」と呼ばれる訓練方法だ。対して、「視唱」というのは、与えられた12小節ほどの楽譜を読んだあと、数十秒後にそれを階名で歌うメソッドである。
「すべての基本か……」
セフンが口にしたその言葉は、ベッキョンのなかで、何かの反応を生じさせたらしい。
感慨深げにそう繰り返すと、彼は何かじっと考えているみたいな顔をした。
「……難しいんです、俺にとっては」
「そっか」
「全然だめって感じでもないけど、だいたい、4分の1くらいは間違いがある感じで、さらに、後半になると間違いが多くなっちゃうんですよ。時間も、とてもかかるし、あと、和音を正確に聴き取ることが、とにかく難しくて」
「……うーん」
「何か、コツみたいなものって、ありますか?」
セフンがそう尋ねたとき、ベッキョンは、もう一度「うーん」とうなったあと、少しの間、返答を返さなかったのだが。
「……えっと、さ。──できない、うまくいかないって、悩んでいるセフンにこんなこと言うのは、とってもアレなかんじなんだけど」
しばらく押し黙ったあと、口をひらいたベッキョンの台詞は、そんな前置きから始まった。
「あのな。俺、ピアノ習ってたじゃない、ガキの頃」
「あ、はい」
「そんで、そこの先生がさ。……頑固オヤジで、すんげー、いけすかねえジジイだったんだけど、その先生にやらされてたわけ、ソルフェージュ」
さしはさむ形容詞が、いちいちお行儀がよろしくないのは、今に始まったことではないので、聞き流しておく。
「6歳からピアノはじめて、『ソルフェ』の教本をやりだしたのは、9歳くらいだったと思う。……で、こういう言い方すると、すげえ嫌なやつに思うだろうけど、まあ我慢して聞いといて」
もう一度、椅子の背に置かれていたベッキョンの手が、セフンに向かってさりげなく、動いた。
「──俺、聴音やると、間違えないんだよね、絶対に」
服ごしに、左の上腕部を、きゅっと一瞬、力をこめて握られた。
そして、すぐにまた、彼の手は離れてゆく。
「俺の言ってること、誤解しないで、聞いてほしい」──そんなニュアンスのメッセージを、セフンは受け取った。
「どんなに小節数が増えても、和音が複雑になったとしても、俺には、どの音がどんなふうにメロディを構成しているかが、はっきりと、わかんの。……だから、聴音のコツとか、そういうの、おまえに伝えられない。伝えられたらよかったと思うけど」
まあ、そういうものかも、しれない。
このひとほどの歌い手なら、音感が普通の人間よりも優れているのは当然のことだ。
神様が、この世の中を、公平になんか作らなかったことぐらい、セフンだってよくわかっている。
「俺ね、しつこく、ソルフェージュをやらせようとしてくる、その頑固ジジイに言ったの。絶対に間違えないんだから、もうこんなの、やる必要がない。意味がないから、やりたくないって。
そしたら、その先生が言うには」
それからベッキョンは、彼が少年時代に習っていたピアノの先生の言葉を聞かせてくれた。
──私も、こうやって、子どもたち相手にピアノ教室をひらいて長いけれども。
聴音をやらせてみると、100人に1人くらいの割合で、確かに、ベッキョナのような子どもがいる。
たぶん、きみには。
絵画や写真を見るようにはっきりとしたかたちで、どの音がどんなふうに組み合わさって、この旋律を形づくっているのかが、わかっていることだろう。
「答えのわかりきっている、算数の問題を解くみたいだ」──きっとそう思ってるんじゃないか?
私自身もそんな子どもだった。だから、その気持ちはよくわかるつもりだけれど。
私も、「必ず正解するのに、やっても面白くないし、くだらない」と思っていた。
きみと同じように。
師事していたピアノの先生が、やりなさい、というから、やっていたにすぎない。
けれども、この「聴音」というのは、実は、正解を出すことには、あまり意味がないんだ。
「正しく楽譜を書こう」として、旋律に耳を傾けること、神経を集中させること。
音に対して、凝縮したかたちで神経をはりめぐらせる時間を、持つこと。
そこにこそ、意味がある。
だから、きみが簡単に正解を出せるのはよくわかるけれど、この訓練は続けるよ。
いつになるかはわからないけれど、きみにも将来、このことの意味がわかる日が訪れるから。
私にそれが、訪れたように。──
「そんで、その後は問答無用で、ずっと、ソルフェをやらされた。
ピアノのレッスンは1時間なんだけど、最後の15分は必ずソルフェージュ。視唱も、聴音も、両方。
その頑固ジジイのところには、中学2年まで通ってたんだけど、最後までずっと、そんな感じで。
俺はずーっとムカついたんまんま、ジジイがやれっつーから、それをずっとやらされてて」
そこでいったん、言葉をきった彼が、ふたたび口をひらいたときには。
ベッキョンの顔には、ふだんは見ることのない、何かをつよく祈るひとのような、真剣な表情が宿っていた。
「その先生が言ってたこと、実は、とても正しかったんだ。気づいたら、俺は、……なんていうか、ここらへんに」
手を拳のかたちに握って、ベッキョンは、とん、と彼自身の胸あたりを叩いてみせた。
「胸のここらへんに。音楽のコンパスを持ってることに気づいた」
方向がわからなくなったときに、いつも、正しい方角を指し示すコンパスを。
そのコンパスを、胸の中に持っているから。
俺は歌っていられる。歌い続けていられる。
そして、それって、あの時間に作られたんだ。
耳をすませて、神経をとがらせて。
先生が弾くピアノのメロディをじーっと集中して聴いていた、あの時間に。
そういう時間を重ねることで、作られていくものが、確かにあるんだ。
(このページは、『セフナの青春日記』4「胸の中のコンパス」(後)です。)
『セフナの青春日記』5「正しい道」(前)は、こちらから!
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(今、これは横浜で書いているんですが、今日、北の大地に戻ります♡ もう少ししたら、羽田に向かいます。家の冷蔵庫で眠っている「ぬか床が大丈夫かどうか?」がやや心配。そして、明日からまた、授業の日々です♪ がんばります♪)