★『セフナの青春日記』(全12話)のうち、第12話めです。
セフンが22歳の誕生日を迎える頃、という設定のファンフィク。歌が上手くなりたいと決心した彼が、EXOのヒョンたちと対話を重ねていきます。
▼第1話はこちらです♪
「そ……それは。歌が、うまく、なりたい、と思って」
声を出してみてはじめて、セフンは、自分の声が、今、ひどく出しにくくなっていることに気づく。
舌も、唇も、喉も萎縮しきったようになって、うまく動かない。
「だから、なんで? なんで、歌がうまくなりたいの」
「え……と」
うまくなりたいから、うまくなりたい。
それが唯一にして、最大の動機なのだけれど。
「ネットとかで、歌えてないとか、ヘタクソとか、もうこれ以上、言われたくないし」
「ネット? ねえ、俺とかベクでさえ、いろいろ言われてるんだよ? 言われなくなることなんて、あり得ないから」
「ヒョンたちの……足を、ひっぱるようなマネをしたくないし」
「足をひっぱるって。──あのさあ。誰もセフナに、最初から歌唱力を期待してないから、そんな事態、発生するわけないでしょ」
──それは、そうかもしれないけど。
そこまで、そんなふうに、言わなくても。
そこで、ハア、とジョンデは大きくため息をついた。
「セフナ、まさか、その程度の動機しか持ってないの? 歌を上達させたいって思ったのって、そんな、ゴミみたいな動機で、おまえは動いてるわけ?」
いくらヒョンでも、その言い草はない、と思った。
相手がキム・ジョンデだろうが、どんだけ歌がうまかろうが、俺は怒ってもいい、と思った。
そんなひどい言い方を、俺は、誰にだって、されるいわれはないんだ、と、この場で、怒鳴ってやろうか、と。
でも、そうしなかったのは。
ジョンデの目が。
燃えているようにきらきらしたジョンデの大きな瞳が、すごい近さでセフンのことを見つめていたからだ。
「違うだろ? セフナが、歌がうまくなりたいって思ったとき、おまえの心のなかには、もっと大きな、もっとまぶしい、すごくきれいなものが、あったはずだろ?」
それを、今、ここで、俺に話してみなよ。
──言葉の、ナイフが。
まっすぐに、きりこんでくる。
心の中の、奥の、奥に。深い、とても深い場所まで。
幾重にもとりまいている、プライドとか自意識とか、そういうものを、ざっくりと切り裂いて。
ジョンデの言葉が、セフンのもっとも深い場所にまで、つよく、到達する。
「お──俺だって」
そう喋りはじめたセフンの胸のなかに、圧倒的な力をもって、ひとつの光景が舞い降りる。
コンサートのステージから見た暗い客席は、夜の空、遠い宇宙みたいだ。
たくさんの、ほんとうに数えきれないほどたくさんのペンライトのあかりが、近くに、遠くに、揺れてまたたく。
そのちいさな、美しいあかりのひとつひとつすべてに、その明かりを持っている人がいる。
セフンと同じように、ひとつの命と心と体をそなえたひとが、ひとりずつ。
その場所にわざわざ足を運んで、対価を支払い、つどって、EXOというグループのパフォーマンスに魅了されるために。
夜空の星々が取り囲むように見えるあの場所で。
もっとも大きく、もっとも強く、そして崇高な力を持っているのは、旋律だ。歌声だ。
ダンスも、ラップも。そのほかの衣装や照明や楽器やセットや、たくさんのスタッフの努力も──すべては、その歌声を光り輝かせるためにある。
あのたくさんのひとが、あれだけの数の聴衆が、いっせいに息をのんで、耳を傾け、陶酔して、魅了されるのは。
歌だ。歌声なんだ。
「お……俺、だって。俺だって……ステージで、コンサートのステージで」
俺はあのステージに立っている。あのペンライトの星空に取り囲まれるようにして。
でも、歌声というかたちで、そこに参加してはいない。
EXOというメンバーでいることで、そのチャンスが、目の前に、ほんとうに目の前に転がっているのに。
たくさんのひとの心を、歌声という直接的なかたちで、動かす、揺さぶる、感動させる、ような。
そういう、とてつもない、うつくしいチャンスを。
俺のすぐそばまで。
神様は、運んで来てくれているのに。
「俺だって、メロディを歌いたい。あれだけの、たくさんのひとの前で」
──そのチャンスに、自分の手を、伸ばさなかったなら、俺は。
神様からもらったものを。
俺だって、俺のこの手で、ちゃんと。
「歌を、歌いたいんだ」
そのとき。
セフンをずっと見つめていた、目のまえのジョンデの大きな瞳が、透明な水をたたえたようにゆらめいた。
あ、と思う間もなく、みるみるうちに、その透明な水は、彼の目からあふれてこぼれて、頰のうえを、涙のしずくとなって、伝いだす。
「よかった。──セフナ、言えたね」
自分の顔をのぞきこむようにして見つめていたジョンデが、そう言って、大きな笑みを浮かべた。
泣いているのに。
涙を幾つぶも、頰に伝わせているのに。
彼の口元は、明るい笑みのかたちになっている。
「その気持ちを、セフナの口から言わせたかった。『歌いたい』って、泣くほどの強い、はげしい気持ちで、『歌を歌いたい』って、セフナ自身に、叫ばせたかった。それが全部の出発点になるはずだから」
涙ですこしだけ揺れているジョンデの声は、けれど、こんなときにも凛としている。
天上の楽器のように澄みきった音で響いて、青い4月の空へと、そのまま、吸い込まれていく。
「……あー、ごめん、ハンカチもってないから、これで」
ジョンデはそう言って、着ていた白いシャツの袖ぐちを手のひらまで伸ばして、セフンの目をぬぐってくれた。
そうされて初めて、セフンは自分が涙を流していることに気づいた。
気づいたら、よけいに。
「あー……ごめんね、ほんと、ごめんね、泣かないで」
並んで階段にすわっていたジョンデは、泣いているくせに、セフンの顔をのぞきこんで大きく笑った。
そして、自分だって涙をこぼしているくせに、泣かないで、と繰り返して、本格的に泣きじゃくりはじめたセフンの頭を、彼の白いシャツの胸に抱きしめるようにしてくれた。
ぎゅっと。ぎゅうっと。
「ごめんね、セフナ。……ああ、俺も痛かった、おまえにひどい言葉をぶつけてる間、俺も胸が痛くて、ばっくり割れて、引き裂かれてしまいそうだった」
だけど、セフナはさ。
いつも背伸びをしたがるじゃないか。カッコつけて、クールにしてようって、思ってるじゃないか。
マンネだから、俺たちとか他の人たちの前で、子どもっぽいところ見せられない、見せたくないって、そうしちゃうのかもしれないけれど。
そういうセフナの気持ちをこじあけて、心の中に手をつっこんで、おまえの本音を一度、引きずり出さなきゃって思ってた。
レッスンを受けてることを、まわりに知られたくないとか、格好悪い自分をみんなに見せたくない、とか。
そういう気持ちって、ほんとうに歌がうまくなりたいって願うときには、邪魔なものでしかない。
なりふり構わないほどの、つよくて、はげしい、そしてきれいな気持ちで願わないと、歌はうまくならない。
歌の神様は、そういう願いのひとにしか、微笑んでくれないから。
そして、そういう強い願いをもって、努力しているひとは、格好悪くなんかないんだ。
すごく、きらきらしてて、まぶしいんだ。
「なあ、セフナ、もう泣かないで?
おまえにひどいことを言って、泣かせたってバレたら、ジュンミョニヒョンに怒鳴られて、ミンソギヒョンに軽蔑されて、ベクとチャニョルから、半年くらいは口きいてもらえなくなっちゃうよ」
澄んだ声をたてて笑うと、ジョンデは抱きしめてくれていた腕をほどいた。
ジョンデのほうも、泣いていたとはっきりわかってしまうほど、涙のあとが目のまわりに残っていたけれど。
明るい、大きな笑みを口元に浮かべた彼に、顔をのぞきこまれると、セフンは、不思議な気持ちになった。
バカみたいに泣きじゃくった気恥ずかしさと、ずっと心の中に淀んでいた、どす黒い霧を払ってもらったような、晴れ晴れとした気持ちと。
それから。──なんだろう、この気持ち。
「ああ、そうだ、俺、いいもの、持ってるんだ。セフナに一個、あげるよ」
「なんですか」
「待ってて。今、あげる。──ちょっと、セフナ、目をつぶってて」
小さな子どもに悪戯をしかける、悪いお兄さんのように。
くすくす笑った彼に言われた。
ちゃんと、言われたとおりに目を閉じた。
そうして、もう一度、自分の胸のなかにあるものについて考えた。
なんだろう。この気持ち。
目をつぶっていても、音と気配で、ジョンデが背負っていたバックパックを肩からはずして、その中から何かを取り出したらしいのがわかった。
つ、と何か、つめたく、硬く感じるものが唇にあたった。
「ほら。口あけて」
唇をひらくと、そのつめたくて硬い、小さなものが、彼の指によって口のなかに送り込まれた。
舌の上にのっかったら、すぐにそれが何だか、わかる。
「──あまい」
チョコレートだ。
「これね、音楽の種だよ。……これを食べたら、体の中で、芽が出て、葉っぱがひらいて、すくすく大きな木みたいに育つ。俺があげたんだから、間違いない。セフナの歌は、きっとうまくなるよ」
そんな口からでまかせの、適当な言葉を。
いったい、どんな顔をしてこのひとは言ってるんだ。
そう思って目をあけると、きらきらした大きな瞳が、笑って自分をじっと見ていたのがわかった。
あまさと、香りと、ほろ苦さが。
口の中でとけていく。
「誕生日、おめでとう。──来年、23歳の誕生日には、絶対に、今とはちがう気持ちで、歌を歌えるようになってるよ」
とても澄んだ声で予言のようにそう告げると、笑ったジョンデは、自分も手許の青い紙の小箱から、チョコレートを一粒取り出して口に放り込んだ。
「ヒョン」
「なに?」
「俺にも、もうひとつ、ください」
まぶしい光に満ちたみたいな、笑い声が返された。
人差し指と親指で、もう一粒のあまい種子を取り出したジョンデは、そのまま彼の指で、セフンの唇に押し込んでくれた。
「おいしいでしょ?」
笑った彼が、そう尋ねるので。
「──この種、あまいな」
二つ目の種子が、セフンの口のなかで、ほどけて、とけてゆく。
あまさと高い香りと、ほのかな苦みが、口いっぱいにやわらかく広がる。
「そりゃ、あまいよ。チョコなんだから」
笑い声をたてたジョンデを見ながら、セフンは、今、蒔かれた2つめの種で、自分の胸のなかにも広がる感情について考えていた。
ああ、いったい。
なんだろう。
──この気持ちは。
『セフナの青春日記』fin.
追記・原稿用紙で120枚ほどの、わりと長めのお話になってしまったのですが、ここまで読んでくださって、ほんとうにありがとうございました。
(このページは、『セフナの青春日記』12「あまい種子」(後)です。)
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