一応、プライドというものがあるので、はっきりと言葉に出して誰にも言ったことはないが、もうすぐ22歳の誕生日を迎えるセフンには、現在、もっとも切実に欲しいものがある。
10代の頃は睡眠時間だった。ちょっと前は、恋愛する自由、だったかもしれない。
でも、そんなものより、今は。
もっと別のものが。
ダンスに関しては、上達してきたと強く自負できる。
与えられたことをこなすだけで精いっぱいだったデビュー当時の映像を見ると、自分でも「マジかよ」とあきれるほど、踊れていなかったと思う。
「言われたとおり」に踊っているだけではダメだ、と気づいたのが転機で、その意識の転換はわりと早く、デビューして1年たたないうちに、セフンのもとに訪れた。
その後は、自分なりに、目標地点とそれに至るための道筋が見えてきた。だからそれにそって、努力を集中させていけばいい。
ふわーっと視界が晴れたような気がして、そこから先は、踊ることそのものが、ものすごく楽しくなった。
たとえ、うまくこなせない部分があったとしても、「どうやって乗りこえてやろうか」と考えることすら、楽しい。
けれど。
歌う、ということについては。
──プライドというものが、一応あるので、誰にも告げたことはないが、もうじき22歳になるセフンが現在、喉から手が出るほど切実にほしいもの、それは。
「歌を歌う力」だ。
*
自分がこのグループに存在している理由に、「歌唱力」という項目は、実はかなり低いパーセンテージしか占めていないという事実に、もちろん最初からセフンは気づいていた。
デビューして数年がたち、がむしゃらに走っているだけの時期を通りすぎてみると、その状況に甘んじていることが、自分自身で納得できなくなっていた。
納得はできないのだが。
しかし、具体的にどうすればいいのか、よくわからない。
レコーディングの前に受けるコーチングだけでは、吸収できるものは限られている。
いったい、どうすれば、とセフンが思い悩んでいる頃に、ジョンデがボイストレーニングの個人レッスンを受けはじめたことを耳にした。
──えー、ジョンデヒョン、いったいなんの必要があって?
デビューした時点で、すでに完成した形の歌声を持っていたこの先輩が、今さら、どういう理由で、そんなレッスンを受ける必要があるのかが、セフンにはよくわからなかった。
しかも、この忙しいスケジュールの合間を縫って、である。
わざわざ時間を捻出してまでレッスンを受けるのは、並大抵のことではないのに。
午前中の早い時刻、某所の某ビルで打ち合わせがあって、セフンがエレベーターの前に行くと、先客がひとりいた。
白のカットソーに、深い紺色のシャツをはおって、ダークネイビーのスキニージーンズの、小柄な背の立ち姿。
履いているスニーカーも濃紺で、その紐とつまさき、紺のシャツからのぞくカットソーと、彼が聴いているイヤフォンだけが、くっきりと白くあざやかだ。
ジョンデヒョン、と声をかけようとしたとき、彼もセフンの存在に気づいたらしい。
片耳のイヤフォンをはずすと、いきいきとした笑顔でふりむいた。
「おはよう。──早いね、セフナ」
ギョンスヒョンと同じくらい、この先輩も黒い洋服を好むことが多いが、今日着ているような濃紺のほうが、彼の雰囲気にはよく似合う、とセフンは思う。
顔立ちを構成するパーツすべてが、くっきりとした強い個性を示しているひとだから、黒という色が持つシンプルさは、その容貌を引き立たせるような気もするのだが。
彼のまとう雰囲気には、ひとかけらだけ、あまく優しいニュアンスがある。そして、黒という強すぎる色は、その微妙な甘やかさを打ち消すように働いてしまうのだ。
紺色の持つやわらかさと深みのほうが、このひとの持つ雰囲気を際立たせる。──そう自分で出した結論に納得して、セフンも先輩に向かってふわりと微笑んでみせた。
「ヒョンのほうこそ。いつも早いじゃないですか」
前回、このビルにタクシーで来たときに、こっぴどい渋滞にまきこまれて、決められた時間に間に合わないのではないかとかなり焦った。だから、今日はかなり時間を早めてここへ向かったのだが。
奇跡的に道路がすいていたせいで、今は、打ち合わせの時刻までにはかなり余裕のある時刻だった。
並んでエレベーターを待ちながら、セフンは、こんなふうに、この先輩と親密な感じの距離感でふたりきりで並んでいることが、これまでそうそうなかったことに気づいた。
彼のまわり、あるいは、自分のまわりには、常にスタッフやメンバーがいるし、プライベートで一緒に遊んだりするような仲ではないので、自分とこのひとのふたりだけ、というシチュエイションは、さほど訪れるものではない。
だから、あのことを尋ねてみようと思った。
「ヒョン、今度、ボイストレーニングのレッスンを受けることになったそうじゃないですか」
「あ? うん。セフナ、よく知ってるね。受けることになったっていうか、もう、始めてるよ。……って言っても、昨日がまだ初回のレッスンだったんだけど」
紺色のシャツを着たジョンデが答えた。
よくとおる、いくらか喋っただけでも、その声のなかに響く凛としたものを感じさせるような、そういう声だ、といつも思う。
こんなにきれいな、まっすぐに伸びる声をしているのに。
「どうして、ボイストレーニングのレッスンを受けることになったんですか?」
「だって、声量が決定的に足りないから。俺の場合」
セフンに尋ねられたジョンデは、すぐさまそう答えた。
大きな目がつくるまなざしを、ぴたりとセフンの視線にあわせてくる。
明るい笑みを満面に浮かべているから、そんな感じがしないけれど、このひとは、目の力が異様につよい。
口元が大きく笑っていなかったら、もしかしたら、わりあい、コワイ顔立ちなのだ、と今さらのようにセフンは気づいた。
「デビュー前後に、ボイトレばっかり、みっちりやらされてた頃から、時間が経っちゃってさ。なんか、自分の中で、いろんなものが自己流に戻ってきちゃったから。……ここらへんで、とにかく腹筋を鍛えなおすところからやり直さないと、そのうち、喉がやられる」
理路整然とした口調だった。
すでに彼のなかで、このことは、充分に考え抜かれていたことだったのだ、と思った。
漫然とした気持ちではなく、このひとは、はっきりと「自分が欲しいもの」を取りに行こうとして、行動を起こしている。
そう思ったら、ぐずぐず思い悩んでいる自分が恥ずかしくなった。
「あの。歌を自己流で上達させるのって、限界がありますか?」
「あるね」
言い切られた。しかも即座に、だ。
ふだんは優しい言葉づかいの彼らしからぬ、強い口調だったので、一瞬、どきりとした。
たじろいだセフンの反応を見てとったのか。
とりなすように、ジョンデは、すぐにいつもの大きな笑みで笑いかけてきた。
「ていうか、正しい方法ってのが、いつもたいていは、一番の早道じゃない? それがあるんだったら、ちゃんとそれを習えばいい」
歌うときよりもすこし低くて、歌うときと同じようにとても澄んだ声で、ジョンデは流れる水のように話した。
その声の響きを、「澄んでいる」と感じるのは、単に、声の音韻的な特徴のせいか、あるいは。
彼がてらいなく話すことがらが、「正しい」ことだから、なのか。
「正しい道がわかんなかったら、いくら努力を重ねて進んだとしても、間違った場所についてしまうでしょ。──そういう単純な話」
大きな目のなかの、力のある瞳だけを動かすようにしてセフンを見上げると、ジョンデはもう一度、顔全体に大きな笑みを浮かべた。
そこでエレベーターがやってきたので、ふたりの間の会話は、そこで終わりになった。
だが、その短い会話で、いくつか年上の彼が、あのきらきらした大きな目をまっすぐ前にむけて、「正しい道」を選び取ろうとしている姿が、つよくセフンの胸の中に焼きついた。
もやもやした霧がたちこめていた目の前に、美しいひかりを灯してもらえたような気がして、ジョンデから投げかけられた言葉と澄んだ声を、そのあとも、何度かセフンは胸の中で繰り返した。
そして、そんな会話を交わしてから数日たたないうちに、ベッキョンとミンソクまでもが、同じ先生から、その個人レッスンを受けることになった、と聞かされた。
努力家のミンソクなら、先生についてレッスンを受けようとするのもうなずける話だが、なんというか、(歌唱に限ったことではないが)「ザ・俺」を貫きとおす、あのひともか、と思ったら、「こうしてはいられない」という気持ちになった。
こうしてはいられない。
俺だって、欲しいものがあるなら。
ちゃんとこの手で、つかみ取りにいかないと。
(このページは、Fanfic『セフナの青春日記』1「一番ほしいもの」です。)
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(画像はお借りしています。ありがとうございます!)
(季節感を無視したお話ですみません…とても楽しく書いたお話なので、お気に召すものがあれば、書き手として、すごく幸せです♡)